2007年09月20日
皇帝
「皇」という漢字は、「自」(はじめ)と「王」の合字であり、人類最初の王を意味している。中国の伝説で最初に中国を支配したのは、三皇であるとされている。また、「帝」という漢字は、元来、3本の線を中央で束ねるという意味(現代では、この意味で用いる時は、糸偏をつけた「締」と表記する)である。ここから、宇宙の全てを束ねる至上神という意味で「帝」が用いられるようになった。至上神という意味での「帝」は殷人が用いたものである。殷人は、祖先や太陽・月・山河などを神として崇めており、これらの神々の内、最高位にあるものを「帝」あるいは「上帝」と呼んだ。殷の支配者は,亀卜(卜占の一種。甲骨文字参照)で「帝」の意志を知り、その意志に基づいた神権政治を行った。後に、至上神という意味での「帝」から受託されて人間界を支配している支配者のことも「帝」と呼ばれるようになった。
史記等の伝統的な中国史の書物によれば、中国の君主の称号は次のようであった。五帝・夏・殷の君主は、皆「帝」と名乗った。「帝」はこの世に同時に1人しかいない至尊の称号であった。周が殷を滅ぼした後、周の君主は「王」と名乗った。「王」もまたこの世に同時に1人しかいない至尊の称号であった。しかし、周王朝が衰えると、南方の楚が、自国の君主の称号として「王」を使うようになり、戦国時代に入ると、他のかつて周王朝に従っていた諸侯も、「王」の称号を使うようになった。このころになると、「王」は至尊の称号でなく、単なる君主の号となった。また、戦国時代の一時期、斉王が「東帝」、秦王が「西帝」と称したこともあったが、すぐに「王」の称号に戻した。このような背景から「王」の称号が価値を落としたと見て、秦の王・羸政が、他の王国を滅ぼした後、王を超えた称号として「皇帝」を名乗ったのである。これがいわゆる秦の始皇帝である。なお、考古学的知見などからは、殷の君主も「王」を称号としており、「帝」が君主の称号として用いられたことはないと考えられている。「王」以前の君主の称号として、「后」というものがあったということが考古学的発見や文献学的研究から分かっている。
「朕」という言葉はもともと広く自称の言葉として使われていたが、始皇帝は、「朕」という言葉を皇帝専用の言葉とした。他にも「制」・「詔」などの皇帝専用語も策定した。また、「王」の称号は用いられなくなった。
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