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2007年10月05日

同志社大ラグビー部

ラガーマンって、けっこうこういうことするやつ、多くない?

野獣なんだろうね。

 同志社大ラグビー部の元部員3人が女子大生(21)を車に連れ込もうとした事件で、わいせつ略取未遂罪に問われた少年2人(いずれも19歳)の判決が4日、京都地裁であった。

 米山正明裁判長は「女性の心情を顧みない自己中心的な犯行だが、反省し社会的制裁も受けている」とし、犯行を主導したと認定した社会学部2年の少年(停学処分)に懲役2年、執行猶予4年、経済学部2年だった少年(退学処分)に懲役1年6月、執行猶予3年(いずれも求刑・懲役1年以上2年以下)を言い渡した。

 判決によると、2人は、経済学部2年だった豊田雄揮被告(21)(退学処分、公判中)と共謀。4月30日午前0時ごろ、京都府京田辺市内の路上で女子大生を車で追いかけ、約15分後、社会学部の少年が車に無理やり押し込もうとした。

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2007年09月20日

皇帝

「皇」という漢字は、「自」(はじめ)と「王」の合字であり、人類最初の王を意味している。中国の伝説で最初に中国を支配したのは、三皇であるとされている。また、「帝」という漢字は、元来、3本の線を中央で束ねるという意味(現代では、この意味で用いる時は、糸偏をつけた「締」と表記する)である。ここから、宇宙の全てを束ねる至上神という意味で「帝」が用いられるようになった。至上神という意味での「帝」は殷人が用いたものである。殷人は、祖先や太陽・月・山河などを神として崇めており、これらの神々の内、最高位にあるものを「帝」あるいは「上帝」と呼んだ。殷の支配者は,亀卜(卜占の一種。甲骨文字参照)で「帝」の意志を知り、その意志に基づいた神権政治を行った。後に、至上神という意味での「帝」から受託されて人間界を支配している支配者のことも「帝」と呼ばれるようになった。

史記等の伝統的な中国史の書物によれば、中国の君主の称号は次のようであった。五帝・夏・殷の君主は、皆「帝」と名乗った。「帝」はこの世に同時に1人しかいない至尊の称号であった。周が殷を滅ぼした後、周の君主は「王」と名乗った。「王」もまたこの世に同時に1人しかいない至尊の称号であった。しかし、周王朝が衰えると、南方の楚が、自国の君主の称号として「王」を使うようになり、戦国時代に入ると、他のかつて周王朝に従っていた諸侯も、「王」の称号を使うようになった。このころになると、「王」は至尊の称号でなく、単なる君主の号となった。また、戦国時代の一時期、斉王が「東帝」、秦王が「西帝」と称したこともあったが、すぐに「王」の称号に戻した。このような背景から「王」の称号が価値を落としたと見て、秦の王・羸政が、他の王国を滅ぼした後、王を超えた称号として「皇帝」を名乗ったのである。これがいわゆる秦の始皇帝である。なお、考古学的知見などからは、殷の君主も「王」を称号としており、「帝」が君主の称号として用いられたことはないと考えられている。「王」以前の君主の称号として、「后」というものがあったということが考古学的発見や文献学的研究から分かっている。

「朕」という言葉はもともと広く自称の言葉として使われていたが、始皇帝は、「朕」という言葉を皇帝専用の言葉とした。他にも「制」・「詔」などの皇帝専用語も策定した。また、「王」の称号は用いられなくなった。

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2007年08月22日

植草被告、泥酔グラフで最終弁論

昔よくテレビに出ていた元早大大学院教授・植草一秀被告なんだけどやっぱり社会的地位がある人がくだらないことをしたらどうしようもないと思います。

そこでこんな記事をみつけました。

電車内で女子高生の尻を触ったとして東京都迷惑防止条例違反の罪に問われた元早大大学院教授・植草一秀被告(46)の第11回公判が21日、東京地裁で開かれ、植草被告は最終弁論で「嫌疑をかけられた罪は絶対に犯していない」と改めて無罪を訴えた。検察側は前回公判(7月18日)で懲役6月を求刑。注目の判決は10月16日に言い渡される。

 弁護団は犯行当時の状況をビジュアルで説明しようと試みた。プロジェクターを使いスクリーンにイラストやグラフのスライドを上映。事件当時の状況を再現し、植草被告とは別に真犯人がいると訴えた。

 イラストによる再現動画には、弁護側が「真犯人」とする人物も登場。動画の「真犯人」は女子高生が後ろを振り返る間に移動しており、弁護側は「真犯人は真後ろに立っていた人物。右斜め後ろにいた被告人が犯人と取り違えられた」と主張した。

 また植草被告の泥酔度を縦軸、事件の経過を横軸とする"酔っぱらいグラフ"も登場。それによると、植草被告の泥酔度は電車に乗ってから急上昇。女子高生が「やめてください」と助けを求めた瞬間、マックスに達している。その後、植草被告が自殺を図った駅事務所へ連れていかれる際には、グラフは急降下していた。

 1時間半に及んだビジュアル作戦のラストシーンは「被告人は無罪」の6文字。植草被告は「私は今まで一点のウソ、偽りも言っていない。先入観や偏見を持つことなく法の正義に従って正しい判断をされるよう望みます」と訴えた。

 日大法科大学院・板倉宏教授は「起訴事実を徹底的に争っており前科もある。有罪判決だとすれば懲役6月、執行猶予4年ぐらいになると思われるが、実刑の可能性もないわけではない」と語った。

 ただ仮に実刑判決が下されたとしても、植草被告は132日間拘置所に入っており「未決勾(こう)留日数として算入されれば、実際に刑務所に入る期間はかなり短期間になる」(板倉氏)という。

社会的地位がある人は皆の規範となるべき存在なので日常の生活から常に心がけて欲しいものです。